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2009年1月28日水曜日

幕末の風情?

昨日は小和田教授の第十五回目の講義がありました。主題は幕末の静岡です。
1854年 アメリカのペリー提督が開国をせまって来ました。幕府は渋々下田港で開国交渉に応じたのですが、総領事として来日したハリスは徳川幕府の煮え切らない態度に神経をやられて胃痛を起こし喀血しました。
 その為 通訳のヒュースケンを通じて下田奉行へ看護婦の派遣を要請しました。それで派遣されたのがお吉でした。ところが お吉は三日間通っただけで、家に帰されてしまいました。此れは どうもヒュースケンが下田奉行に「看護婦」としてでは無く、娼婦を要求した模様でした。それで お吉は世間から「唐人お吉」と言われて非情なバッシングを受け、明治23年稲生沢川に身を投げて死んでしまいました。可哀想に・・・「日米通商条約」の締結の陰にはこの様な悲しい物語があったのです.
  ハリス達が初めて日本に上陸して特にビックリしたのは、銭湯が男女混浴だった事と人前で平気で放庇をする事だそうです。日本人は礼儀正しく節度もある民族なのに、混浴で何の躊躇いもなく人前で素っ裸になったり、大音響の放屁をするのがどうしても理解出来なかったと日記に書いていると言う話です。江戸時代からの風習で、日本人も大らかだったのですね。それにしても若い女性は平気だったんでしょうか? エッ!余計な心配ですか!?!すみません

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