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2010年7月31日土曜日

昭和天皇

 1945年8月15日 日本は連合国軍に対して、ポツダム宣言を受け入れ、<無条件降伏>をしました。そして 其の13日後の8月28日、僅か150名からなる占領軍先遣隊が無血上陸しました。連合国最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ったのは、其の2日後の8月30日でした。そして 9月27日、敗戦国元首たる天皇は、マッカーサー元帥を訪問しました。此れは天皇の方から「マッカーサーに会いたい」と言われたからです。此の会見は前後11回に亘りました。
 其の会見の様子は、1955年の記者会見で、マッカーサーは回顧して居ます。重要なのは最高権力者マッカーサーが、少なくとも初対面の天皇に<鮮烈なる好印象>を抱いた事です。天皇から<自己弁護の言葉>を聞かされるとばかり思って居たマッカーサーの前で、天皇はこう述べたと言います。
 「私は、戦争遂行の過程で発生した全ての事態に全責任を負う。私は、日本の全指揮官と、全政治家の行動にも責任を負う。私の運命に関する貴下の判断がどの様なものにせよ、其れを下して頂きたい。私は 全責任を負うものである。」
 マッカーサーは此の天皇の言明に感動し、「私は 彼にキスしたい気持ちだった」と述懐して居ます。
 此の時点のアメリカの世論は、77%が<処刑を含む処罰要求及び天皇制廃止>でしたが、マッカーサーの尽力で<象徴天皇として、天皇制>が存続されたのです。
 <昭和天皇の人柄>が当時のアメリカ人の心を動かして、危うく2600年の伝統が絶たれるそうになったのを<自己弁護をせず><許しを乞わず>自然体で守ったのです。
 私は 昭和天皇は只の飾りだったのかな?と思って居ました。然し この原彬久の本を読みまして、改めて其の偉大な人柄を知らされました。 

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