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2010年7月29日木曜日

必死の和平工作

太平洋戦争が開戦されて仕舞っても、吉田茂は戦争の早期終結の為に努力をして居ます。其の最初の切っ掛けは、開戦の翌年 昭和17年2月のシンガポール陥落でした。緒戦以来赫々たる戦果を挙げて来た日本軍は、イギリスのアジア生命線とも言うべきシンガポールを攻略しました。其処で吉田は此の時こそ好機と考え、天皇側近の一人 松平康昌(内大臣秘書官長)を通じて木戸(内大臣)に和平工作の計画を上申しました。木戸内大臣の意中は、「シンガポールが陥落した今こそ、和平工作の好機ととらえるべきである。」と言うものでした。其処で吉田は計画を立て、近衛公をスイスに派遣して和平工作を進める事を考えたのです。吉田からこの計画を聞いた近衛公は驚いた風でしたが、吉田は更に説きました。「海空からは甚だ危険ですが、朝鮮・満州からシベリヤ鉄道を利用すれば多少の困難はあっても、スイス迄行けない事は有りません。貴方はジュネーブで釣りでもして居て下さればいいのです。イギリス・オランダ・アメリカ各国との交渉は、私が奔り回ります」
 かくして吉田は近衛公の希望で、木戸内大臣に話を通す事になりました。そして 吉田は、近衛公をスイスに派遣する計画書を木戸内大臣に提出しました。然し 木戸内大臣は東条英機首相を恐れる余り、此の計画書を握り潰して仕舞ったのです。それで 吉田の折角の計画も敢え無く頓挫しました。
 しかし 吉田は諦めません! 次は戦争末期、今度は自分が命懸けでスイスに和平工作に行こうと言うものでした。つまり 敵軍の目に止まらぬ様に、潜水艦で吉田をスイスに運び和平工作をやろうと言う、奇抜と言うか杜撰と言うか凡そ用意周到とは言い難い計画でしたが、吉田は凄く乗り気で、「危険過ぎるから」と止める人が有りましたが、「死んだっていいじゃないか!!」と本気で言ったそうです。でも 潜水艦の手配が出来ず、此れも不発に終わりました。
 凄いですね!! 今時の政治家達に「国の為に死んだっていいじゃないか!」と本気で言える者が一人だって居ますか?選挙の票勘定ばっかりしている肝っ玉の小さい輩に、此の万分の一の気骨が有ればと思って仕舞います。

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